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21、片山の改心

  昨夜のことが忘れられない。悔しくてならない。どうしてお寄り下さいと言えなかったのだろう。


 言えるわけないわ。女の口からお寄り下さいとは言えないわ。はしたない。でも逆方向を遠くまで送って頂いたのよ。それは違うわ。


 礼儀です。お茶の一杯ぐらい差し上げるのが礼儀と言うものです。ごめんなさい。わたし礼儀知らずだわ。


「お菊さん、熱燗になるぞ」


 辰吉の声に我に返った。お菊は慌てて徳利を鉄瓶から取り出した。


「先生遅いな。もうすぐ5つ(20時)になるぞ。昨日今日とどうしたのかな?」


「さあ、どうしたのかしら?」


 考えていたことを言い当てられたような気がして、胸がどきりとした。燗した徳利を手に客へ運んだ。その時、がらりと引き戸が開いた。


 ぱっとお菊の顔が花が咲いたように明るくなった。


「先生、いらっしゃい!」


 坂西は頷くといつもの席へ座った。何とも浮かない顔をしている。片山のことが気になっている。


「お酒にしますか?ごはんにしますか?」


 お菊は嬉しそうに、にっこり笑いながら聞く。


「酒にしてくれ。冷で良い」


 「はい、今日はいかの煮つけと塩辛です。一緒にお持ちしますね」


 坂西はこくんと頷いた。認定試合が終わって3日目。片山の様子が気になる。今日は誰も片山に相手を願うものがいなかった。


 札順が気に入らず、それが態度に出ているとしか思えなかった。一人外へ出て、繩巻立木を叩いていた。憤怒の顔をしていた。


 稽古の真剣な顔とは違う。坂西が声を掛けると憤怒の顔のまま、


「片腕一刀流は実力主義ではないのですか?」


「剣は全て実力主義だ。我が流派だけではない」


「先生とお話がしたかったのです。今日限り辞めさせて頂きます」


 片山は一礼をすると道場へ戻って行った。坂西は黙って見送った。


 道場に戻ると、川村が走り寄って来た。片山が帰りましたと報告をする。あえて、理由はと聞くと黙って帰って行ったと言う。


 坂西は初めに相対した時から片山が妙に気になった。自分を見ているような気がした。稽古が終わると川村が相談に来た。半刻程話した。


 片山のことだった。聞く程に何か隠し事があると疑問がわいた。部屋に帰ると銭湯に行った。


 久々に長湯になった。片山への疑問がさらに深まった。酒を求めて蕎麦屋へ向かった。お菊が迎えてくれた。


 お菊が酌をすると、黙ってゆっくり口に含むように飲んだ。何か話しかけようと思ったが、立ち入れない雰囲気に黙って板場へ戻った。


 昨夜のことを思い出していた。何か気に障ることを言ったりしたりしなかっただろうか。


 思い当たることが無かった。聞くわけにもいかず、じっともしていられず他の客の空いた皿を下げに回った。


「お菊さん、もう仕舞いの刻か?」


「いいえ、まだ大丈夫よ」


「そうか、じゃ、1本付けてくれ。それと握り飯を3個作ってくれ、持って帰る」


「おい、留めさん誰か待ってるのか?」


「いや、明日の朝めしだよ」


「そうか、そりゃいい考えだ。お菊さんおいらも3個頼む」


 その時、引き戸が開いて客が入って来た。客には珍しい浪人だった。


「ごめん、少し尋ねる。こちらには坂西先生はお出でになられるか?」


 武士はきょろきょろしないものだ。


「どちら様でいらっしゃいますか?」


 お菊が坂西を目で制止して答えた。


「片山と申して先生にお世話になっている者だ」


「片山、ここだ。どうした?」


 坂西が振り返りながら手を上げた。店内は一瞬シーンとしたがすぐ元に戻った。職人同士の話声は大きい。6人の客の声は賑やかだ。


「こちらにお尋ねして申し訳ありません。お別れを申し上げたくて参りました。明日、急に川越に立つことになりました」


「良くここがわかったな」


「はい、道場に伺いましたら、こちらではとお教え頂きました」


「ここに座りなさい」


 言うと、板場の前に立っているお菊に徳利を持ち上げた。お菊は徳利と盃を運んだ。坂西はその盃を片山の前に出した。

 

「いえ、いただけません」


「何を遠慮する。さ、一杯いこう」


 観念したのか勧められるままに続けて3杯飲んだ。


「辞めると言った男が、わざわざ旅立ちの挨拶にくるとは律儀だな」


「お恥ずかしゅうございます。先程は自分の力の無さを気付かず、大言を吐いてしまいました。申し訳ありませんでした」


 片山はその場に両手をついて深々と頭を下げた。


「うむ、気付けば良い。しかし、何を急いているのだ」


「父が身罷(みまか)りました。夕方、兄からの飛脚がありました。明日未明に発ちます」


「知らぬこととは言え、酒を勧めてすまなかった。父上はお幾つでおられた」


「はい、数えで53歳でございました。私はこの春、父の反対を押し切って江戸に出て参りました。父は町道場を開いておりました」


「何?道場を…」


「道場と言いましても私的な道場です。父は徒頭をしておりまして兄と身共を鍛えるため、近くの畑に稽古場を作りました」


「徒頭をされておられたか、後が大変だな」


「いえ、十年前に兄がお役目を引き継いでおります。父は道場に専念しておりました。と言いましても藩士7名の名ばかりの道場でございました」


「剣は先手護りは後手が口癖で、身共に容赦ありませんでした。生傷が絶えず、家を出て来ました」


「父の死の知らせを聞いて後悔しております。同時に先生に対しても未熟なご無礼の数々。申し訳ありません」


 片山は再び両手を付いて深々と頭を下げる。


「気にしてはおらん。それより、また江戸へ戻って来い。待っているぞ」


 片山はそれを聞いて、ぼろぼろと涙をこぼした。父の死を聞いても涙をこぼさなかった男が。片山の心は決まった。


「はい」


 はっきり大きく言った。立ち上がると、震える肩をそのままに引き戸を開けて出て行った。表に出ると声を上げて泣いた。父の顔も浮かんだ。


 次回22回は8月9日火曜日朝10時に掲載致します。