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                        16、水滴切り    

 長屋に帰ると部屋が寒い。布団を出して中にくるまった。着たままに。


 仰向けに寝た。真っ暗な天井に柱が薄く見える。行燈を消した。寝て忘れよう。勝三の剣は速かった。頭上直前で見えた。しかし、何も出来なかった。


 二刀の意味もなかった。左手で受けて右手で打ち込むつもりでいた。受ける間もなく面を強打された。その瞬間がありありと浮かぶ。目を閉じるとさらにありありと。


 掛布団を跳ね上げ上半身を起こした。じっとしていられない。あれが真剣ならもっと早いはずだ。尋常な速さではない。だが必ず防ぎ手があるはずだ。


 その時、はっと閃いた。先に攻めれば良い。防ぎ攻めることばかりを考えていた。攻めだけに徹すれば良いのだ。立ち上がると木刀を手に表に出た。

 井戸端には誰もいない。刻は亥の刻(22時)に近かった。外は半月に照らされて。見通しは良かった。正眼に構え真っすぐに前を見据えた。


 閃いたことは、相手の動きを見て動いては遅いと言うことだ。これまで、受ける避ける攻めるは相手の動きを見て行動した。


 その動きを見て動くまでの間、極端に言うと身体は静止している。勝三の動きを目に見て反応した時はすでに遅し。面を打ち込まれていた。


 勝三の動きを察知してから動いては勝てるわけがないのである。通常の対戦は相手の動きを察知してから動く。剣術の全ての流派はそれを当たり前とした。


 勝三の剣は察知した時はすでに遅し、勝負は終わってしまっている。

 察知と同時に動かなければならない。しかも勝三の剣と同じか、もしくは早くなければならない。


 坂西は、これまで察知と同時に動いたと思っていた。しかし、察知から動きまで時間が掛かっていたのである。正眼に構えたまま四半刻近くもそのままの姿勢でいた。

 勝三の動きを察した時は、その剣に切られた時である。他の剣士の場合は、動きを察してからの対応で十分に間に合う。また、動く前から動きが読めた。


 勝三の動きは全く読めない。風のない空のようであった。そこから一撃が来る。来たと認識した時は一撃を受けていた。


 認識してからの動きでは必ず負ける。坂西は先手しかないと思った。負けたのは勝三の先手に負けた。その先手は、坂西に毛程の動きすら察せられなかった。


  互いに構えた時が勝負の始まりとすると、先手はその前であってはならない。構えた瞬間に先手を取ることである。


 勝三を想定すると正眼に構えたまま動けない。どう先手を取るか思いつかない。そのままでいれば打ち取られる。


 先手を取っても勝つとは断言出来ない。それを躱されるかも知れないと思った時、やっと気付いた。見えないのは自分の剣の速さが劣っているからだ。


 坂西は慢心していた。己の剣に動きが遅いとの認識が無かった。勝三の剣の動きが見えなかったのは、他に原因があると思っていた。


 勝三は一直線の性格である。まやかしに近いことをするわけがない。坂西は剣の速さが劣っていたのだ。上には上がある。


 亡くなった父が教えてくれた修行法を思い出した。軒下に太竹を下げそこから落ちる水滴を切ることである。


 竹は三尺程の長さに切り二つ割りにする。先端に節目を当てる。そこに水を入れ、下に小さな穴を開ける。微妙な穴加減で水滴の落ち方が決まる。


 その水滴を切ることである。落ち方が速くなる程、竹の穴は大きくなる。穴を調整しながら、水滴の大きさ速さを決める。連続切りは極めて難しい。


 次の朝から近くの神社裏に通うようになった。程良い木を見つけ、竹をくくりつけた。持参した鉄瓶から太竹に水を注いだ。


 坂西は無心になって、一刻近く水滴切りを続けた。道場へはそれから出た。三カ月が過ぎた。単調な訓練だったが狙った水滴を確実に切ることが出来るようになった。


 坂西は自信を持った。しかし、それがどれほどのものか知りたかった。再度、勝三にお手合わせを願い出た。


「坂西さん、お手合わせとは珍しい。どう言う風の吹き回しかな?」


「師範代、よろしくお願い致します」


 坂西は口調も改まり、緊張気味の顔をしている。毎朝早く起きて道場に行く前に、毎日一刻(2時間)の時間、水切りの訓練を続けて来た。


 三か月前と同じく、勝三の初手、一瞬で勝負はついた。見事に面を打ち込まれていた。坂西は奇妙な顔をした。身体は硬直したように立ち竦んでいた。


『見えた。はっきり見えた』


 坂西の目に、勝三の竹刀が摺り上がるところからはっきり見えた。今一度思い浮かべた。


「坂西さん、どうした?」


「いえ、あまりの速さにぼーっとしてしまいました。師範代、もう一度お手合わせお願い致します」


 正眼に構えた一瞬、勝三の剣が摺り上がって来た。坂西はその竹刀を躱そうと竹刀を擦り上げたが間に合わなかった。またもや面を打ち込まれていた。


 完全に勝敗はついた。坂西は二度までも完敗だった。しかし、闇夜に一条の光が射したようで心が熱くなった。動きが見えたのだ。 


「ありがとうございました」


 受け損ねた竹刀を腰に引きながら三歩下がってお辞儀をした。二度までも負けたが心に喜びが湧いていた。

 

 勝三の剣を目に捉えることが出来た。見えたのだ。水滴切りで目の動きは確実に進歩していた。しかし、身体が動きがついて行かない。


 次の朝から水滴の落ちる間隔を速めた。殆ど流れ落ちるような間隔である。目で追えるが、剣はついて行かない。


 竹の穴も自然に次第に広がり、間隔がさらに早くなる。とても対応できず、何度も竹を取り換えた。さらに半年が過ぎた。


 坂西は痩せた。青白い顔で目ばかりぎょろぎょろしている。蕎麦屋には毎日顔を出すが、食が勧まないようで殆ど残してしまう。


 お菊が心配し板前の辰吉に相談して、色々とおかずを考えて出すがそれでも殆ど残してしまう。最近ではお菊も痩せてしまった。

 道場では誰もが心配した。痩せた身体に目だけがきらりと光っていた。労咳でも患っているのかも知れないと噂したがそれは違った。門下生に色々憶測が飛んでいた。

   

 坂西は門下生にこれまで通り手合わせ指導をしていたが、言葉が少なく手本を実際にやって見せる。相手が出来るまで何度も繰り返した。


 その指導は確実に門下生を上達させた。門下生は坂西を心配しながらも先を競うように指導をお願いした。順番を待っている門下生が5日先迄いた。

 ある朝、不思議なことが起きた。水滴が止まって見える。そして、すっと落ちていく。不思議に思い、目を水滴に凝らすと流れ落ち続け止まらない。


 次の日もその次の日も水滴が止まることは無かった。5日過ぎて気のせいかと諦め、ぼんやりと眺めた。水滴が止まって見えた。止まっては流れる。次々と。


 これを無心になると言うことか。ぼんやりとしたときは、全てを忘れ全てに無心である。意識すれば無心で無くなる。


 意識せず、意識する。見ることも動くことも無意識に任せる。剣で意識とはその動きを見てから動くと言うことである。


 意識してから動くまで、今流に言えば0,1秒かかる。これより早く動けば躱すも攻めるも出来ない。

 目に映ってから動くまでに刻がかかるとはだれも考えてはいなかった。一瞬とか言い回したがそれは動と静止が一つで、その間に刻があるとは誰も考えもしなかった。


 もちろん、坂西もそうであった。水滴を止まった瞬間切っていた。しかしそれは遅れていた。確かに切ってはいたが止まった位置より僅かだが下であった。


  無意識に木刀の振りに合わせていたのである。自然に下になる。初めの頃は一寸程(3センチ)下であった。今は水滴を同時に切り落としていた。


 それは木刀の身幅に助けられていた。身幅は八分程(24ミリ)の厚さがあった。坂西もそれは承知していた。


 水滴が止まって見えたときから、木刀が遅れているのに我慢が出来なくなっていた。木刀は水滴を切り落としていたが、その身幅が助けていたのだ。


 坂西は本身を抜いて斬った。水滴は本身より先に落ちた。何度も何度も繰り返し切ったが切れない。水滴は先に落ちる。


 その日から7日目のことである。すっと水滴が斬れた。自分に驚いてそのまま静止して目を疑った。もう一度刀を振った。


「斬れた…」


 小さく言葉を漏らした。続けて何度も切り続けた。今まで見た瞬間に切ったと思っていたが、瞬間に長さがあったのだ。瞬間の長さが縮まった。


 今流に言えば、水滴を見て切るとの反応。意思伝達の速度が速くなったのであった。もちろん、剣の速さも極限に早くなっていた。


 坂西は身体が熱くなった。心中も赤々と燃えたぎった。何度も何度も水滴切りを繰り返した。確実に切れた。間違いではない。確信した。同時に勝三の顔が浮かんだ。


  朝練の途中で勝三に手合わせを願い出た。


「良いでしょう。これから致しますか?」


 勝三は坂西のげっそりと頬のこけた顔を目をそむけるようにして言った。腕では勝るが坂西は武士で年長者である。敬意持って答えた。


「出来れば、稽古の後にお願い出来ればと思います」


「わかりました。全員退出の後に致しましょう」


 勝三は坂西への配慮のつもりあった。坂西は気配を勝三に集中したかった。

 

 全員の退出を確認すると、勝三は道場中央に進んだ。


「坂西さん、始めますか?」


 坂西はお願いしますと言いながら勝三の前に進んだ。互いに礼をして間合いを取った。

続きは明後日11日朝10時に掲載します

 互いに正眼に構えた。坂西は勝三の目を見た。瞬間、勝三の竹刀が坂西の面を打った。見えた。勝三の動きが見えた。坂西は瞬間に竹刀で受けた。


「見事!」


 勝三は驚いた。門下生はもちろん。腕自慢の道場破りを含め、誰も受けた者はいなかった。剣捌きが早くて誰にも見えなかった。受けられなかった。


 坂西にははっきり見えた。正眼に構えた勝三の右足が飛ぶように前に出た。同時に両手で構えた正眼の構えが片手となり、足と同時に面を打って来た。


 片手打ちは、両手に束縛されることなく倍以上の速さで面に打ち降ろされた。その速さは、これまで坂西でさえ目に留めることが出来なかった。見えなかった。


 水滴切りの成果であった。不思議なことが起きた。水滴が落ちる途中で止まって見えるようになった。その水滴を落ちる前に斬る。至難の訓練であった。


 坂西は頭上一寸のところで受け止めた。それは意識に無かった。無意識に竹刀が動いた。真剣であれば到底間に合わなかったであろう。


「坂西さん、見事です。この一手は師範(谷崎)以外誰も受けられません」


「ありがとうございます。しかし、受けるのが精一杯でどうにも動けません。どうすれば良いでしょう?」


「師範は竹刀では受けません。ほんの僅かに身を躱し、私の左胴を斬り抜けます。万事窮す。私は為すすべも無く呆然とその場に立ち竦みます」


 あの一手を体を動かし躱すとは神業である。とても間に合わないから竹刀で受けた。坂西は言葉を失い黙してしまった。


「ははは、先生は人間じゃありません。神業です。今思い出しても背筋が凍ります。寒くなってきました。坂西さん、熱燗で一杯いかがです?行きましょう」


 坂西は大きく頷いた。救われたような気持だった。二人は蕎麦屋へ向かった。


                            つづく

次回17回はi月18日朝10時に掲載します