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                      15、酒茶漬け

 坂西は、長屋に帰っても片腕一刀流の真髄は何かと考えた。そして、二刀流に行き着いた。それは安易であり浅はかであった。勝三の一手で簡単に消え去った。


 その一手の動きが見えたのは面を撃ち込まれた時である。互いに正眼に構えでいた。坂西の目には、構えから打ち込まれるまで記憶に無い。見えなかったのだ。


 勝三の竹刀の速さにあった。真剣ならもっと見えなかったであろう。剣は速さに勝るものは無い。その速さは片腕ゆえに得られたのである。


 剣の速さを得るには、鍛錬に鍛錬を重ねるしかない。そこに天性の機敏性が加わりる。天性の機敏性は人それぞれである。


 勝三は無類の天性が備わっていた。人は動きを目で認識をしてから動く。勝三の動きは、認識するより先に動いた。


 相手に見えない理由がそれだ。認識した時は切られている。これは恐怖だ。それに勝つには、その速さ以上でなければならない。


 理屈ではわかるが、坂西の剣の速さは今以上にならない。何か方策は無いかと考えた。


 勝三には受けも防ぎも出来ずに斬られた。しかし。頭上に落ちる剣の動きは見えた。見えたと言うことは同じ線上にあったと言うことだ。必ず方法はあると思った。 


 勝三の剣は凄い。その凄さの上に谷崎師範の剣がある。勝三の速さを見ているから、さらにその上とはどんな剣であるのだろう。想像が出来ない。

  

 思う程に、谷崎師範の剣が見たい。何としても見たい。この目で確かめたい。祈るような気持ちであった。自然にその場に正座していた。 

 

 気がつけば一刻程の時間が過ぎていた。腹が空いた。立ち上がると自然に蕎麦屋に向かっていた。


 宵5つ(20時)を過ぎていた。蕎麦屋に着くとお菊が心配そうに駆け寄って来た。坂西はこれまで暮れ6つ半(19時)頃には来ていた。


「どうしたのですか?こんなに遅く。お身体の具合でもお悪いのかと、心配しておりました」


「すまぬ。野暮用があってな。遅くなってしまった。心配してくれたのかお菊さん。こんなわしの事を…」


「当たり前ですよ。大事なお客様ですもの。お酒ですか?それともご飯にしますか?」


 周りは常連客で埋まっている。心の内は言えない。


「めしにしてくれ。腹が減ってな。何でも良いからお菊さん見繕ってくれ」


「はい、直ぐに用意します」


 短い返事だが、出迎えてくれた時の声と真逆だった。嬉しさと喜びに満ちていた。

 

板場に戻ると聞こえていたらしく、辰吉がにっこりと笑いながら、


「いか大根が炊き上がったばかりだよ」


「良いわね。鯖の味噌煮と厚揚げ煮と一緒に出すわ。お味噌汁熱くしてね」


「お菊さん、急に元気になったな。どうしてかな?」


「知らないわよ」


 言いながら、手際よく盆に並べていく。最後に熱くした味噌汁を乗せると板場を出た。


「お待ちどうさま。お味噌汁熱いから気を付けてね」


「良い匂いだ。いか大根に鯖の味噌煮、大好物ばかりだ。ありがとう」


 味噌汁をふうふう言いながら啜ると、いかを口に入れ飯を食べた。おいしそうに次から次へと食べていく。お菊はその場に立ったまま見ている。


 坂西がふとお菊を見て、


「どうかした?」


「いえ、お代わりをお持ちしようと思って…」


「すまん、頼む」


 お菊は嬉しそうに茶碗を受け取ると板場に戻った。


「お代わり早いね。先生は色気より食い気だ。お菊さん残念だな」


 辰吉がにやっと笑いながら言う。


「何言ってるの。酢の物作って置いてね」


「へい、お菊お姉さま。承知いたしやした」


「お菊さん、熱燗まだか?」


 他の客からの催促だ。お菊はうっかり忘れていた。自分の頭をちょんと叩いて飯と一緒に燗酒を持って出た。

「やっと酒が来た。こりゃ熱いな。ふーふーふー、こりゃ湯冷ましと同じだぜ」


「ごめんなさい。すぐ取り替えます」


「良いよ、そろそろ止めようと思ってたんだ。身体にも良いしな。すまねえが、めしを半分ぐらい持って来てくれ。塩昆布も少し頼む」


 お菊は言われた通り、どんぶりに半分のめし、小皿に塩昆布を持つて来た。大工の常吉は、めしの上に塩昆布を乗せるとその上から燗酒をかけた。


「酒茶漬けの出来上がりだ。どれ、さっと混ぜて…うめえ、こいつぁうめえ!」


「常さん、大丈夫?」


「何だよ、まだいたのかよ」


「そうよ、急に変わったことするんだもの」


「お菊さん、俺にも同じものをくれ!うーんと熱燗にしてな」


 隣の客が見てて言う。


「しかし、もったいねぇことするなあ。でもな、たまにぁー贅沢なことも良いかな。おれにも同じものをくれ」


 その隣の客も言う。変わった酒飲みばかりだ。お菊は戸惑った顔をしたが、直ぐに笑顔で、


「うーんと熱燗ね。はーい承知いたしました」


 お菊はおどけたように言う。ここは深川はずれの、蕎麦屋まがいの居酒屋だ。


 坂西は客同士の陽気なやり取りに耳を貸すでもなく、黙って立ち上がった。

 

「お菊さん、勘定頼む」


 賃粉切りの手間賃を貰ってから、その都度払うようになっていた。他の客もつけは無くその都度払っていた。めしだけでいつも30文(750円)程だった。


「早いですね。ごめんなさい。今、お茶をお持ちします」


 お菊は茶漬け用の酒の燗にそばについていた。慌てるように板場から出て来た。


「いや、要らぬ。ここに置いておく」


 間に合わなかった。出て行ってしまった。急に力が抜けたようになった。お菊は熱燗づくりを恨めしく思った。


 二人の客の前に、熱燗酒とめしどんぶりを出した。客は​待ちかねたように徳利を持つと、飯に乗った塩昆布の上からとくとくとかけた。酒の匂いがふわーっと漂った。

続きは明日8日朝10時に16回を掲載します