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       11、意外な入門

 二人は目を合わせた。坂西は勝三を鋭く睨みつけた。勝三は柔らかい目で受けていた。坂西が柄の握りを微かに締めた瞬間、勝三がさっと右下段に構えた。

 

 右片手の下段である。左手は臍の上に軽く開いて置いている。坂西は目を勝三に見据えているが、勝三は柔らかい目線である。


 下段に構えた勝三は、面ががら空きである。その機をを逃さず坂西は面を打ち込んだ。通常は上に上げて面に振り下ろすが、坂西は違った。


 正眼の構えから摺り上げるように面を打った。刀では切ったと言うであろう。それは突きと同じであった。振り上げる一動作が無い分早い。勝った!坂西は思った。


 その時、信じられないことが起きていた。我が胴に勝三の竹刀がピタリと止められていた。我が竹刀は空を切っていた。唖然として状況が読めない。


 勝三の竹刀は全く見えなかった。それどころか、動いた勝三の身体も見えていなかった。あまりの状況に坂西はそのまま静止していた。


「それまで!」


 道場師範の谷崎が一声上げた。坂西は竹刀を腰に納め元の位置に下がると、一礼をしてそこに正座した。坂西はもちろん、誰も口を開かない。道場内はしんとしている。


「入門させて下さい。お願い致します」


 坂西が両手を付いて力を込めて言う。途端に道場内がざわついた。


「先生、いかが致しましょう?」


 勝三の言葉に、


「良かろう。勝三に指導を任す」


「わかりました。坂西さん、お許し頂きました。今日から門下生です」


「ありがとうございます。よろしくお願い致します」


 坂西は顔を上気させて喜んだ。


「これより自主練習とする」


 勝三は大声を張り上げた。すぐに坂西を見て、


「こちらへ同道下され」


 塾長室の隣客間に通された。勝三が酌座すると、坂西はその前に両手を付き、


「数々のご無礼お許し下さい」


「なんの、気にしてはおらん。しかし、何かわけがありそうだな」


「江戸に来て半年になりますが懐も底をつき、家賃はおろか食うにも困り仕官を諦め、道場破りを思い経ちました」


「道場破りとは、相当の自信がおありだったようだ」


「武州にある田舎の藩でござるが、藩では1、2を争う実力と言われておりました」


「ほう、それは凄いことだ。それがどうして江戸へ出て来られた?」


「お恥ずかしい、あのざまでございます。藩では近頃、剣より算術で重宝されるようになり、夢が無くなりました。江戸に行けばと脱藩を決意しました」


「思い切ったことをされたものだ」


「しかし、仕官など出来るものではありません。どこへ行っても門前払い。あっという間に半年が過ぎ、食うに困るようになりました。しかし、仕官に障ると日雇い仕事はしませんでした」


「偉いと言うか、真っ正直と言うか…」


「馬鹿です。そして思いついたのが道場破りです。仕官を諦め破れかぶれです」


「そうか、腹が減っているようだな?」


「いえ、大丈夫です」


「やせ我慢するな。飯食いに行こう。わしも丁度腹が減っている。一緒に飯食いに行こう」


 勝三は坂西を伴い、馴染みの蕎麦屋へ出向いた。



 蕎麦屋と言いながらめし屋であった。客もそばを注文する者はいない。夕方からは居酒屋になった。朝6つ半(7時)から開き夜5つ半(21時)に閉めた。


 刻は昼八つ(14時)を過ぎていた。店に客は誰もいない。7つ半(17時)までは休憩と仕込みの時間である。


「勝三先生、お早いですね。熱燗すぐ用意しますね」


 入って間もない女給である。三十路は過ぎた大年増である。面長の顔に澄んだ切れ長の目、口角の上がった口元。なかなか色っぽい。


 それもそのはず、深川芸者であったが身体を壊し休んでいたが、この店の親仁竹蔵から誘いを受け勤めることになった。


「酒はいらん。めしをくれ、何かうまいものを見繕ってくれ」


「へっ、お珍しい!鯖の味噌煮といかと大根の煮つけがあります。どういたしましょう?」


「両方出してくれ、それにぬか漬けをどんぶり一杯出してくれ」


「はい、わかりました。お酒はいいんですね」


「いらん、坂西さん、そこに座ってくれ」


 勝三はいつもの席、壁際に座り坂西をその前に勧めた。


 坂西は店に入った時からうまそうな魚の煮つけの匂いに、腹がきゅーっと鳴った。昨夜、最後の米半合で粥を啜っただけだった。


「お菊さん、めしのお代わり頼む!」


「はい、ただいまお持ちします」


 お菊は、めしどんぶりを2つ持って来た。


「あら、お1つで良かったのね。ごめんなさい」


 1つのどんぶりを持ち帰ろうとする。


「それも置いてってくれ」


「はい、すみません」


 そのどんぶりめしを黙って坂西の前に置いた。


「間違えたようだ。すまんが協力してやってくれ」


「は、はい」


 坂西は嬉しそうに返事をした。実はお代わりをさらに重ねたいと思っていた。気取りの無い。実に気さくな男だった。


 食べ終わるのを見計るようにお菊がお茶を持って来た。


「お菊さん、紹介する。わしの友だ。坂西さんと言う。これからよろしく頼む」


 言いながら坂西を見ると、真っ赤な顔をしている。


「菊と申します。こちらこそよろしくお願いします」


 坂西は腹が満足して、改めてお菊を見た。驚いた。急に背筋を伸ばして、


「坂西です……」


「どうした?坂西さん、知っているのか?」


 坂西はこんなに綺麗な人は初めてだった。郷里はもちろん、江戸に来ても会ったことは無かった。黙って首を振った。


「これから、めしはここで食べてくれ、門下生だから遠慮しないで良い」


「実はここのお代もありません」


「そんなことはわかっている。だから遠慮しないで良いと言ったのだ」


「そういうわけにはいきません。何かさせて下さい。掃除とか薪割と何でも致します」


「そうか、仕事が無かったのだな。ちんこきりでもするか?」


「えっ、それは…とても身共には出来ません」


「ははは、賃粉切りだ。煙草の葉を刻む仕事だ。住み込みの門下生は食い扶持にしている」


「是非、是非よろしくお願い致します」


「わかった、それも心得た。さあ、道場へ戻り腹ごなしとするか」


 二人は道場へ戻って行った。坂西は顔色まで生き生きとしていた。

                                            

                            つづく

続き12回は明日9月19日朝10時に掲載します。