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                        10、宮本武蔵

 谷崎の脳裏から塾長の言葉が離れない。


 谷崎は片腕が無いから、仕方なく片腕による剣を工夫し、片腕に寄る一刀流を編み出した。


 そこに塾長から『二刀流武蔵の剣も片腕だ』と聞かされた。暗闇に一条の光を見たような気持になった。


(後年、宮本武蔵は五輪書で、刀は本来が片手で使うものだ書いている)


 谷崎は道場に戻ると、道場序列3位の勝三を呼んだ。勝三は武士では無い。


大工である、剣の才能を持っていた。


 谷崎に直接指導を受けて4年になる。今では道場で師範代神代(太吉)以外は誰にも負けることは無かった。


 大工で鍛えた強靭な足腰はどんな動きにも即応した。谷崎が驚いた程である。


 武士は幼少より剣を学ぶ。向き不向きに関わらず学ばされた。太平の世で戦が無くなったが、武士の本分としては変わらなかった。


 本分を形だけの武士が巷に溢れていた。両刀を束ねて歩くが、それは飾りに等しかった。


 勝三はその父親が大工で、自分も大工になると自然に思っていた。12歳になると大工奉公に出された。


 大工として生きることに疑問など持たなかった。当たり前のことであった。愚悪に親に感謝した。


 腕は深川でも名うての大工になった。しかし、飲み打つ買うにうつつを抜かし借金で首が回らなくなっていた。


 そんな時、以前の親方竹蔵から声が掛かった。護り屋の仕事だった。驚くような金が貰えたが仕事は少なかった。


 護り屋の仕事は腕の強さで違いがあった。腕とは剣術である。喧嘩では誰にも負けぬと自負していたが、剣術は知らぬ。


 仕事欲しさに護り屋で剣術を学んだ。当時は塾長辺見が直接指導をしていた。塾長は勝三の素質を見抜いていた。


 たちまちのうちに護り屋道場では、神代(太吉)を別格として塾生筆頭の杉山以外には負けなくなった。杉山は浪人だ。


 ある時、塾長辺見が谷崎を客分として紹介した。片腕であり、勝三は始めから見くびっていた。


 道場の上位塾生は誰も勝てない。神代を除いて道場市と言う杉山も一瞬にして竹刀を跳ね飛ばされた。


 谷崎の竹刀の速さは尋常ではない。勝三に谷崎の竹刀の動きは見えなかった。竹刀が飛ばされて知った。


 最後に神代が対戦したが、辺見の『それまで』の声で勝負は中断させられた。


 杉山は昨年秋、佐賀藩江戸屋敷へ仕官が叶い護り屋を辞めた。道場では神代師範代を除けば勝三が筆頭になった。


 今、その師範代神代が護り屋に専念し、道場には出ないことになった。谷崎は勝三に特別指導を始めた。


 谷崎の剣は先手の剣である。互いが間合いを取った瞬間、剣がすっと伸び相手を一撃する。竹刀であるから一撃だが刀であれば切り裂かれていただろう。


 剣の尋常な立ち合いは、互いに間合いを取ってから始まる。間合いを取った後はどちらからせめても良い。


 片手切りは、両手で持つより一尺(30㎝)伸びる。相手は届くはずがないと、間合いを保ちながら切り込みの瞬間を計っている。


 そこへ、一撃の剣が降り降りて来た。一瞬のことに相手は何がどうなったかわからない。わからぬうちに勝負はついた。


 それを徹底して勝三に教えた。三月もするとその剣は胴に届いた。半年で面に伸びた。縁の基本が無い分、柔軟に身体が察知した。


 続きは9月19日朝10時に掲載予定でしたが、ホームページ会社「ビスタプリント」にホームページを勝手に変更されました。原稿作成方法まで変えられました。原稿掲載が困難を極めています。もとに戻して頂くように今交渉中です。

 読者の皆様には大変ご迷惑をお掛け致しております。今暫くお待ち下さいますことをご容赦下さいませ。どうぞよろしくお願い申し上げます。


 谷崎は一刀流の究極は片手持ちと確信した。戦場の馬上であれば片手は手綱である。当然片手で刀を持つ。


 さらに、先陣を急ぎ敵と行き交う戦いに、両手で持てば走れない。戦えない。


 だから片手で持つ。しかし、問題があった。その際使わない左手をどうするか?いつの間にか右手の動きに合わせて動いている。それが両手で持つ理由になったと考えられる。


 両手で持てば片手で持つより、刀を自由に動かせなくなる。両手で自由に動かす鍛錬をしても限界がある。片手で持つ鍛錬の方が理に適っている。


 谷崎の左手は手首から下が無い。それでも無意識に右手に合わせて動く。止めておくと右手に完全な力が入らない。左手をどうするかを研究した。


 世が平和になり戦が無くなったが、武士の戦いは戦である。武士は平時であれ、その時のために備えなければならない。武道としての刀の片手持ちの鍛錬は当然のことである。


 平和が続くと、武士は刀を両手で持つ剣法が主流となり、流派が誕生した。谷崎は手首を無くしやむを得づ片手剣法になった。それが片腕一刀流である。


 谷崎は、自身が会得した片腕一刀流を勝三に徹底して教え込んだ。それは自身の技をさらに高めた。


 そんなある日、道場に指南者が来た。指南とは名ばかりで、道場破りである。1年程の間、強い道場との噂が広がり誰も寄り付かなかった。


 指南者は年の頃30前後であろうか、痩せて頬のこけた浪人である。身構えに少しの隙も無い。雰囲気に只ならぬものがある。塾生は勝三に取り次いだ。


「先生、いかがいたしましょうか?」


「珍しいことだ。勝三、良い機会だ立ち会ってみるが良い」


 谷崎は眉一つ動かすことなくさらりと言った。勝三は身震いした。相手の技量がわからぬが、噂を聞いて来たとすれば皆伝以上の腕の持ち主である。


「お待たせ致した。拙者、門下生筆頭を務める工代勝三と申す。貴殿は何と申される」


「申し遅れました。拙者武州浪人、坂西伝八郎と申します。流派はござらぬ。田舎剣法です。先生にお一手ご教授頂きとうございます」


「まずは拙者がお相手仕ります。よろしいですかな?」


「いや結構です。よろしくお願い申す」


「当道場の決まりで、竹刀を使いますがよろしいかな?」


「結構です。よろしくお願い申す」


 真剣とか言うのかと思ったが、あっさりと受けた。


 道場の左右両脇に門下生がずらりと並び座った。正面高台中央に谷崎が座った。その前に勝三と坂西が左右に分かれて立った。


 坂西は谷崎をじっと見てから深々と会釈をした。その後勝三を見た。


 勝三は会釈を交わした。それが戦いの合図である。互いの距離は2間程である。


 二人は互いに正眼に構えた。

                            つづく

次回11回は10月12日朝10時に掲載します